生きることへの葛藤

生きる事がつらい。何もかも上手くいかない事が増えたと思ってから約10年。
社会においての私の立ち居地、居場所はどこだろう?と模索し続けた。
結局、頭で考えただけで全く前には進んでおらず歳を取っただけかもと後ろ向きな私の思考回路。

「なにもかも上手くいかない」と頭が思い込んでいるのだろう。
それに対して身体も重くなってきた。

そうだ。

この憂鬱さは鬱病だ。

何もかもが楽しくなくて、何もやる気が起こらないどす黒い空気。
周りの人からも嫌がられてるのじゃないか?と思い込む頭。

「そんな事気のせいだよ」と誰も言ってくれない空虚感
もし、そんな事を言われても自分自身の嫌な所を隠す様な空しい笑顔を見せる私。
自分自身の心を素直に相手に見せられないのは恐怖から。

本当の事を言って嫌われないだろうかと、要らない事まで考えてしまう。
この謙虚さは相手には伝わらず、嫌味な奴と思いもやらぬ方に相手は考えていた。

こうやって人は勘違いをして鬱病になる。

誰にも理解されず理解されようとも思っては結局いなかったのだ。
憶測は何にも役は立たない。友人関係においては自分の正直さを言える相手が親友なんだと思う。

この暗い私に希望の光をともしてくれる友達を大切にしようと思った。

私の場合、後ろ向きに生きている事は確信出来る。
それは異性への上手く伝えられなかった過去にある。
自分の過ちを私は言葉にしてメールで’’ばか’’と一文字を送った。
無論私は彼女の事をばかなんて思っていなかった。
思えるほどでもない位好きだった。
彼女はもう戻らない。
そこにあった彼女という光。
その光は私の頭の空想空間で今もいる光。
それ程好きだった。

でも、もう取り返しは付かない。

分からないけど。

誤りたいけど、彼女はそんな私を拒み続けた。

ちゃんと意味が伝わったのなら今でも一緒に笑ってた様な、

そんな気がする。

言葉は難しく学歴社会では言葉の疎通も出来なければ馬鹿なのだ。

言葉を上手く使う人が勝つ世の中への葛藤。
笑える世の中が来ればいいなと思う希望とは何故か逆行しているTVの中。
私の居場所は何処だろう?

人は自分が居たい人といる。
自分の居たい所にいる。

文章に上げてみると自分の思っていた事が分かり、

少し楽になれた。

ありがとう。